115-1000 新潟車の引退に寄せて その1
一年前、引退までもうわずかというところでクソデカな感情を抱えつつ撮り始めました。
撮るに至るまでの思いが強すぎるので、初回更新となる今回はほとんど115系と無関係な話が続きます。
そして、「新潟車の引退に寄せて」とか言いつつ出るのはしな鉄車の話題。
本当に何も関係ない・・・
だけれども、これら強すぎる思いが無ければ新潟にこんなにも頻繁に通い詰めることもなかったと思ってます。
写真が見たい方、次回更新の記事迄読み飛ばしていただいてもかまいません。
私自身の熱意の保管庫として。
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雪中、雪原、猛吹雪
山中・勾配・海岸線
そして土地に根差した多様な塗装
様々な色と模様を纏い、厳しい環境かつ風光明媚なスポットを駆け抜けるその姿に惚れ惚れしてしまったのがすべての始まりだった。
115系という存在に限って言えば、大昔から撮りたい気持ちが強く、高専在学中に一度くらいはそれを撮りに新潟に行きたいと思っていた。しかし歳を重ねてくうちに治安が悪化していくのを感じて人の集まるような被写体を段々避けていくようになっていった。挙句の果て、3年生くらいになった時だったか、「撮りたいと思うけど足を運ぶのは億劫」なものになり、とうとう5年生も終わるころまで一度も行くことが無くなってしまった。
このころは編成写真くらいしか撮ってなくて斜に構えたようなスナップは撮るような人じゃなかったんだよな。変な話「編成写真を撮るだけ」ならある意味このスタンスで居続けても問題なかったと思ってる。
社会人になるほんの直前、最後の春休みも終盤に差し掛かったところで転機が訪れる。
この後狂ったようになることも知らずに...
◆E257系0番台 あずさ・かいじ の存在
以前、自分がとても気に入っていた車両にE257系0番台があった。
▲側面に大きく配置されたひし形のパターン
外観はアルプスの山々や林檎の花をイメージさせる白を基調としており、車体側面に四季の彩りを表す、武田菱を模した大きな菱形模様が描かれた[3]。菱形模様は桃色■(春の花)、碧色■(夏の木の葉)、黄色■(秋の紅葉)、青紫■(冬の山々)、銀色■(八ヶ岳やアルプスの嶺)、からなり、その配色は似ているものもあるが号車ごとに異なっている
精悍な顔つきもさることながら、シンプルかつ信州/甲州の風景に強烈な存在感を与え、どんな景色の中でも目を引くカラフルな塗装パターンは「風景と列車」というテーマで撮るにはうってつけの車両だった。
そんなこんなで今まで編成写真が主でしかなかった筆者は、この車両をきっかけに猛烈にイマジネーションを掻き立てられて鉄道風景写真を撮り始めるようになった。
しかし2018年7月、一部の運用がE353系に置き換えられる形で運用の減少が発表、E353の置き換えはE351系5本分のみと思い込んでいたため、当時これには相当驚いた。
まだ悲劇は止まらない。
2018年冬、翌年3月のダイヤ改正において、E257系の定期運用を離脱することが発表された。
その冬は頻繁に中央本線界隈に出向くようになる。
だがこの時は学生時代、金も時間もない。
仕方なく最低限押さえておきたかった編成写真の定番スポットだけ抑えることに。
沿線の風景を吟味しながらまったり撮りためていく予定だったはずが、いつしか深く思考してる暇もない駆け込み乗車みたいな撮影になってしまった。
2019年3月
不完全燃焼どころか燃え尽きていないところに水をかけるかの如くモチベーションを消される事態へ。
時は2020年
一応、繁忙期の臨時あずさ・かいじとして走ることもあったが、新型コロナウイルスのせいで設定取り消しになったり、これに加えて自分の予定と合わないことが多く、結局11月の臨時ダイヤだけを撮るのみで自分の中ではE257系の撮影は完全に終了、もやもやを晴らすことも叶わず
2021年8月、E257系武田菱塗装は静かにこの世から消えていった。
▲これ以降撮ることも、目撃する機会も失う。(2020年秋)
▲このカットが生めてなければ本当に暴れてただろう。(2020年秋)
やっぱりどうしても目立つ車体で風景とともにに収めたい―
結局、燃えきれなかった燃えカスと、それを燃やし切りたいもやもやとした感情を残すのみとなった。
◆風景と撮って満足できる被写体を探す、そして短期間の入院を繰り返す
冬が深まってきて、甲信越に雪が降り積もる季節になった頃、しなの鉄道に「115系復刻新長野色」が走ってることを思い出した。
中央本線で走ってた頃は撮影すらしていなく、思い入れもとても深い。何と言ってもThe信州って感じで(語彙力)あんな感じの風景に溶け込みつつ信州らしさを全面に伝えてくれる、、
”燃えカス”に火が付いた。
よし
今シーズンは絶対に雪まみれの長野色を撮りに行く。
年が明けて卒業論文のラストスパートに追われているころ、数々の不幸が襲う。
体育の授業中、飛んできたボールを顔にお見舞いされ、目を怪我。PCのモニターを見続けると直ぐに疲れ、満足に見えない視界に焦燥感と怒りを抱えながら毎日ヘトヘトニなるまで研究活動を続けていた。同時に卒業アルバムの撮影と編集に携わっていたものだから相当ストレスを抱えていたと思う。
今もファインダーを覗くのも結構キツイ。1.2くらい有った視力はだいぶ落ちた。
週末も無気力になりほとんど動けなかった。よくないと思いつつ栄養ドリンクのお世話になりながら体に鞭を打って追い込み、コツコツと研究と論文執筆をつづけていた。
Tips
モンエナやレッドブルを飲み続けるより、リポDやチオビタドリンクを飲む方が経済的にも栄養価的にも遥かにいいです。
そしてビタミンは大量に撮っても尿で流れていく量が多いので、一瓶を一度に飲み切るのではなく、朝と昼で半分ずつ分けて飲むと比較的吸収がいいです(気がします)
このままでは体がもたない。
一月末のある夜、寝る前に腹を壊した。程度は酷かったものの、一年に一回あるくらいの感じだったのでブツを出して寝た。
翌日 38度を超す高熱
翌々日 激しい胃痛のような腹痛、39度近い高熱
そして
3日後だったか、救急外来に突っ込まれ虫垂炎が判明、入院した。
もう精神が狂っていたので、病院のロビーで卒論の心配をし、留年を覚悟した。
とうとうやってしまった・・・
深夜まで作業していた生活から一変、ただひたすら寝てるだけ。
抗生剤をただひたすらぶち込まれ、入院から一週間くらいの二月頭に退院、
ヨシ今月半ば迄頑張れば雪中の115じゃあああああああああ
という勢いで論文を完成させ、どうにかなんとかして提出。
今までの惨状からか、何かすさまじい安堵感が体を駆け巡る。
その夜、寝ていたら猛烈な寒気で飛び起きた。壊れた洗濯機のような震えが止まらない・・・
朝にまた救急外来に突っ込まれ、また入院。
あれ、研究発表できないやん??...えしかも月末何も撮りに行くこともできない...
時間は無慈悲に過ぎる。期限は近くなる。季節もどんどん移り変わってゆく。
終わった。
論文だけでは終わらない、発表のスライドもある。
「あぁこりゃやべえよw」
病室で抗生剤をぶち込まれながら死ぬ気でノートパソコンとにらめっこをしてスライドを作る、。、。。先生の援助も受けつつなんとか完成(大変感謝)
でもまてよ、退院予定日は、卒研発表日の後、、、
アハハw
おかしくなりながらダメもとで音声をスライドに吹き込んだ。
ありがたいことに、研究発表だけはスライドに音声を吹き込んだものが卒研発表として認められ、事なきを得た。
初回の入院からそうこうしているうちに、まるまるひと月が経った。
入院してから一週間超の退院間際、最終的に手術の判断が下る。それも日が開いて3月頭に。
死んだ生活まだ終わらんのか
二月も終わりの方、冬も終わりが見えてきた。体力も十分でなく寒冷地で耐えられる状態ではなく、そもそも手術が控えてるのに出かけて感染症を拾ってきたら元も子もない。
火のついた燃え残り、再消火
雪原も、期待する風景も、来シーズンへおあずけさ。
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